東京都市大学オーストラリア留学プログラム (TAP)

東京都市大学
オーストラリアプログラム


レポート

REPORTTAP 留学中の学生による
特派員レポート

REPORT
2026.08.28
Vol.729
実存は本質に先立つようだ
廣瀬 周介
デザイン・データ科学部 デザイン・データ科学科

広大な土地がミニチュアのように感じられた経験が皆さんにはあるだろうか。それも画面越しでもなければ、上空から見下ろしているわけでもない。確かにこの大地に自らの足で立っているのに。

 

私はオーストラリアを訪れて数日たった頃から、この奇天烈な感覚に苛まれることがある。電車から見える景色がまるで急流のように過ぎ去っていくとき、町に降り立ち人々の喧騒が光と共に私の五感を刺激したとき、はたまた路傍に落ちた果実が腐りながら、けれども鮮やかな色を放っていることに気づいたとき。私はこの感覚に苛まれる。なぜか。これは私自身が小さくなったからであると考える。蟻から見た彼らの巣は荘厳な城だろうが、人からすれば取るに足らない住処にすぎない。同様に、このオーストラリアの大地すら小さく感じるほど、私は私自身を小さく感じてしまっている。

 

このような感覚はあまりにも未知なものであり、最初の3日間は知覚できていたかすら怪しい。いや、本当のことを言えば無意識化で近くしていたこの感覚に、恐怖にも似た感情を覚えていたのだろう。俗にいえばホームシックと言うのだろうが、私からすればそのような言葉では片づけられない。しかし、人間とは適応する生物だとはよく言ったもので、いつの間にかこの感覚に慣れ始めた自分もいる。そんな折、新しい疑問が生まれた。この感覚に思いをはせている時に”私”はいったい何処にいるのかという点である。より分かりやすく説明すると、この時の私は”小さな私”と”その様を見ている私”がいるのである。今までこの感覚が私の中になかった理由はここであると考えた。

 

いわば、私は私に対して他人事だったという事だ。絵本の登場人物、映画のわき役、動物園に住む動物。そんな風に私を捉えていたのである。

 

「実存は本質に先立つ」。サルトルが語ったこの言葉を、私は「人間とはただ無為に生きることもできる。ゆえに自身の行動に責任を持ち生きていくことが肝要である」と解釈している。ナイフは切るという本質があって存在している。家は人が住まうという本質があって存在している。では人はどうなのだろうか。良きことをするため。誰かを幸せにするため。はたまた、自身の存在を世の中に知らしめるために存在するのだろうか。私はこれら全てに対して首を縦に振ることもできなければ、ノーを突き付けることもできない。ゆえに、私たち自身で本質を見定めて行動し、その行動に責任を持つことが重要であるのかもしれない。この言葉に当てはめた時、オーストラリアに来てからの私はどうだっただろうか。胸を張ることが出来るだろうか。自分自身にすら他人事であることは、果たして正しい事なのだろうか。ここまで読んでくださった皆様におかれましては、これ以上長文を並べる必要もないだろう。一方で、これを自覚したうえでのここ数週間の行動に対して、私は充実を覚えている。この感覚をぜひとも共有したいと考えているが、少々長くなってしまったのでそれはまたの機会に。

 

私が伝えたいことはつまり、TAPに参加しているのは私自身だという事に気が付いたという事である。読んでくださっている方々の中には、これからTAPに参加する方もいるだろう。もしかすると、もうすでにオーストラリアに来てからこの文章を読んでいるのかもしれない。そんな皆さんに今の私が伝えたいことはただ一つ。TAPに参加しているのは「自身」だという事だ。これは決して誰かを糾弾しようとか、追い詰めようという意図ではない。せっかくなのだから、自身が考え、自身が行動し、自身が結果をつかみ取る。そういった体験になることを切に願っている。こうして得た体験は素晴らしいものになると信じている。

 

実感が沸かないのは当然である。いや、もしかするとこのような心境になっているのは私だけかもしれない。しかし、もしも自身の生活に疑問を持った時にこの文章を思い出していただけると幸いである。

 

正直、他の特派員の方々が生活に関する内容などをレポートしてくれていると思いますので、私は今現在の私の心境にフォーカスして筆を執らせていただきました。一見、陰鬱とも取れる内容になってしまいましたが、決してそういった心境ではないことを再度お伝えさせてください。これからTAPに参加する皆様におかれましては、素晴らしい滑り出しが出来ることを願っております。ここまで読んでいただきありがとうございました。