東京都市大学オーストラリア留学プログラム (TAP)

東京都市大学
オーストラリアプログラム


レポート

REPORTTAP 留学中の学生による
特派員レポート

REPORT
2025.06.19
Vol.647
帰国まで二週間のラストスパートと、帰国してから感じたこと
宮澤 裕太
都市生活学部都市生活学科, Murdoch University

1. 授業課題とお出かけが詰まった二週間

帰国二週間の週の金曜日はジャーナルの提出締め切り、帰国一週間前は三つの授業とも最終プレゼンテーションだったので課題に追われていた。特に水曜日の最終課題は25枚以上のコラージュや編集を加えた写真でストーリーを作りプレゼンすることだったので発想し制作までかなり時間を要した。


私はまだロットネスト島に行ったことがなかったので、言語交換パートナーと都市大生が混じっているグループチャットにて帰国二週間前の週の5月23日金曜日にロットネストに行くことを告知したが行く日がジャーナルの提出日であったこととその他外国人の友人も予定が合わず、私と私のパートナーの二人で行くことになった。当日天候が悪いことが数日前からわかっていたのでフェリーのチケットは買わずに、コアラを抱っこできる動物園に変えることも検討していた。当日は朝早く8時20分に会い、天候が予想通り悪かったのでコフヌコアラパークに変えることをパートナーに提案したらその方が良いという話になり即座に行先変更した。場所は寮から南東に35キロほど離れたところでバスと電車合計4本を乗り継ぎ一時間半ほどかけた遠い田舎にあった。開園時刻ちょうどに着き我々以外だれも客がおらず一番乗りだった。中には放し飼いのアヒルやシカがおり接しやすかった。餌のポップコーンはインコにあげた。コアラ抱っこは35ドルだったかと思うが11時から参加した。抱っこしたコアラは一歳半で今まで見たコアラの中で一番可愛かった。朝早く出ていたのでお昼ごろにはすべて見終わり寮に帰った。運のよいことにバスの時刻を調べなかったが二分後にバスが来た。逃したら二時間後であった。帰った後は課題のジャーナルを仕上げて無事17時に提出できた。

2日後の5月25日の日曜日、帰国前にもう一度Mandurah線を乗り通してGiants of Mandurahに行きたかったので出かけた。ここは留学開始1週間後の土曜日に一人で訪れた場所で、再び帰国1週間前に訪れたら何を思うか試したかったのである。3月1日に訪れたときはとても暑く、海は果てしなく長く続き、当然我が国日本は見えるわけもなくこれから3か月も過ごしていけるかと心配した記憶がある。2回目に訪れた日、当然気候は変わり涼しいうえ日没も早かった。3か月前に滞在したことは結構記憶にあったのでこの場所のことだけ考えると体感時間は短かったがそれ以外の間のことを思い出すと半年くらいに思えた。この日は、後半からの楽しさと、もう間もなくオーストラリアから帰ることへの寂しさが混じったが前回来た時より不安がなく過ごしやすい一日だった。

帰国一週間前の授業は最終プレゼンテーションで、パワーポイントを作るのには時間がかかったが、原稿は作らずにペラペラ喋って発表し無事終えることができた。帰国一週間前の火曜日の夜は某バディーと寮から北東に47キロほど離れた星が撮れる場所に車で連れて行ってもらった。バルブ撮影し人生初の綺麗な天体撮影になった。

月火水と最終プレゼンを終えてすべての授業が終了、そこから帰国までは暇になった。木曜日はパース駅近くの洋服屋を何件も回り三着服を買った。私はこれまで服を買うなどのファッションに意識したことがなく大体の買い物はみどりの窓口やえきねっとできっぷの買い物をすることだったのでおしゃれが得意であろう友人に手伝ってもらうことでお買い上げに成功した。意外と服装で僕も印象が買われるものだなと思った次第である。



最後の金曜日は二回目のピアノのレコーディングをした。今回は音源だけでなくビデオ撮影も含まれていることを事前に知っていたが、いざ現場に着くと一眼レフカメラがピアノ両方から二台、大きなスタジオ用照明二台があり唖然とした。この日ももちろんスーツを着て臨んだ。収録した曲は、ショパン作曲「スケルツォ2番」、「ワルツ5番」、シューマン作曲リスト編曲「献呈」である。録画開始の際、収録を手伝っている学生が”3, 2, 1, GO!” と合図を出すので緊張感が高まった。一曲あたりかなり体力を消耗するので休憩を挟みながら行った。留学中盤くらいから毎日弾いていて弾き慣れたことと、留学で得た新しい感情は、留学前に弾いていた感覚とは違うものをつくった。18時半ごろから始めて23時頃に終わり、4時間半にわたる収録が終了した。「君が日本に帰ったらデータを編集して送るよ」と言われて現在楽しみに待っているところだ。


土曜日は午前中、Colesでオーストラリア限定のTimTamストロベリークリームをお土産に六箱買い、夜は言語交換パートナーと都市大生でカジノに行った。初めて行く場所で巨大なホテルの中に奥が見えないほどの広さにカジノの設備が広がっており驚いた。

日曜日は、パース駅から北東に進んだところにあるWhiteman Parkに行ってきた。鉄道研究部の先輩が、この公園を走る鉄道が公園から公園最寄りのWhiteman Park駅まで延伸したので見に行ってほしいと言われ調査目的で行ってきた。公園自体は古くからあるが最寄り路線のEllenbrook線は去年開業したばかりで駅の周りは綺麗だった。公園行きの電車のホームには全く人がおらず心配だったが30分ほど待っていたらやってきた。そしてやってきた電車はトロリーポール式で集電するタイプの超古い路面電車用車両だった。時代でいうと明治時代中盤から昭和時代初期でよく見られた車両だ。進行方向を変えるとき乗務員が手動でトロリーポールを切り替えておりアナログの塊が醍醐味であった。また、公園に入るまでの新線区間の軌道はできたばかりの綺麗な状態で乗り心地がよく車両と軌道のギャップがあり面白かった。新線区間を通り抜けると既存の区間はレールがくねくねしていてジョイントが多く乗り心地が悪かった。広大な園内のいくつかを周るので数か所分岐器を通ることがあったのだが毎回通るたびに乗務員が一旦停止させてレバーでポイントを切り替えており面白かった。また、この電車は無料で乗れるので素晴らしかった。途中園内の革命的交通博物館が無料だったので短時間で見て、近くに公園がやっているBennett Brook Railwayがあったので10ドル払って乗ってみた。ディーゼル機関車にトロッコ列車が連結されたもので広い園内をさらに奥まで一周し17分かけて戻ってきた。風通しが良いうえ車窓からカンガルーが見えて楽しかった。帰りはちょうど最終のトロリーポール電車がやってきたので乗り込み公園最寄り駅まで楽に帰れた。歩くと30分くらいかかるので最後電車で帰れてよかった。パース駅に戻りお土産屋でオーストラリアの国旗が入ったTシャツを買って寮に戻った。

次の日月曜日は天気が午後から悪くなると分かっていたがまだ行ったことがなかったロットネスト島に行った。フェリーとレンタサイクルのチケットはフリーマントルの乗船場で買った。島に着くとすぐに自転車が貸し出された。天候は晴れており一番奥まで行く24キロほどのサイクリングコースを行くことにした。思っていたよりも坂がきつくギアは三段しかないため往路だけでかなり疲れた。12時ごろ最西端まで着いたとき雲行きが怪しくなり大雨が降ってきた。昼食で時間をつぶして止むのを待ったが一向に収まらなかった。ちなみに昼食は食材が余っていたため白米の残りと肉じゃがをパックに入れて弁当として持って行った。最西端から乗船場まで片道一時間はかかり、復路のフェリーは14時15分だったので13時前に大雨の中戻り始めた。しかし雨が強すぎるうえ強風がある環境のなか急勾配が何か所もあり体力の消耗が早まり行きとは違って上り坂では自転車から降りて押すことが多かった。想定以上に時間がかかってしまいフェリーには間に合わず乗り遅れた。係員に事情を説明すれば16時の便に乗せてくれるだろうと思っていたので怖くなかった。乗船場の近くまで14時半にようやくたどり着きカフェに入ってひと休みした。店内にクオッカが入ってきてびっくりした。全身ずぶ濡れであまりにも疲れており寝ていたら閉店時間に店員に起こされた。その後周辺を歩きクオッカを見つけて写真を撮った。小さくて顔つきも可愛かった。フェリーは無事16時の便に乗せてもらい最後の一席に座れて戻ることができた。留学生活最後のフリーマントルに別れを告げて寮に帰った。

2.パッキング、掃除、別れ、帰国、留学の終了

私が寮を出て帰る日は6月3日火曜日の夜であった。月曜日、ロットネスト島から帰ってきた後余っている食料で夕食を済ませた。横浜キャンパスの人たちは1日早い6月2日に出発するのでお別れをした。1日の差ではあるが都市大生のおよそ半分がスーツケースを準備し寮からいなくなったので我々もいよいよ帰ることを実感させられた。部屋に戻り机の上がかなり散らばっていたので片付けて、服をしまいパッキングの準備に取り掛かった。洗濯できるものは済ませた。ちょうど25時くらいに洗濯が終わり、横浜キャンパスの人たちが乗る航空機が出るところだったのでフライトレーダーで追跡した。離陸してから航路をリアルタイムで見たが、北に進んだので寮で夜空から見送ることはできなかった。


翌朝9時ごろ起きてColesに行きお土産用にお菓子を買い、寮でパッキングを再開し想定以上に時間がかかった。また、掃除の点検も13時以降に来るので急いだ。自分の部屋と共用スペース1か所を掃除しなければならず、不十分であると清掃費用として一万円ほど請求される。自分の部屋を掃除し終えて空になり、共用スペースのキッチンをまだ掃除していなかったときにスタッフがやってきてしまった。三か月半暮らしていた自分の部屋に別れを告げるためスタッフに写真を撮ってもらった。鍵を返して施錠されて部屋にもう入れなくなったとき、帰国するのだという実感がさらに増した。その後昼食は最後の残りの白米と肉じゃがを食べ終え残りの料理はすべて消費した。帰国5日前に食材は帰国日から逆算して料理し、それでも余ったものは友人に譲渡して何とか消費してもらった。牛乳、ジャム、塩、コショウ、パスタが余ったのでこれらはルームメイトに伝えて譲渡した。パッキングでは食器、調理器具を持って帰ろうとしたがフライパンは重いのでキッチンに置いたままにしたのでそのままルームメイトが使ってくれているであろう。ボディウォッシュ、シャンプー、ハンガー、洗濯用洗剤も譲渡した。ここで、留学期間中の洗濯について振り返るが寮生活一日目に買った2kgの洗剤を使い切ることなく毎回有料ではなく歩いて無料のランドリーに行ったので洗濯費用は帰国までの間10ドルしかかからなかった。留学期間中はアルバイトなどの収入がないので安くできるところではできるだけ取り組んだほうが損失額は少なくて済む。パッキングに時間がかかり詰め終わったが異常に体積が大きく重くて17時を回ってしまった。私はスーツケースを寮に預ける時間を二時間勘違いしておりLINEで呼び出されて急遽預ける場所に持って行った。重さを量ってもらうと29kgと25kg制限を大幅に超えており失敗した。某バディーに部屋にて手伝ってもらい一からパッキングをやり直すことにした。服のたたみ方が悪く体積が増していたので軍隊式のたたみ方を教えてもらい服がとても小さくなり大幅に余裕ができた。持ち込み手荷物は空港での点検が無いのでできるだけ小さくて重いものを詰めた。おかげで何とか25.6kgまで減量に成功し大幅遅れをもって18時にパッキングは完了した。


寮を出発するバスは20時30分、まだ時間があり最後に寮の音楽室のピアノを弾いて、寮のプールラウンジでパートナーやバディーと最後の会話をした。パートナーやその友人は僕が帰国する約二週間前に話したときに今度の1月に日本の大学に3週間訪れることを知ったので、「半年後また会おう、どこかにいろいろな場所に一緒に行こう」と話し別れを告げた。


20時26分、バスは寮を出発した。空港に着き僕のバディーは車で追いかけてきてくれて手荷物検査のエリアに入るところで最後の別れをした。ブリスベンで買ったカンガルーとコアラのぬいぐるみはリュックに入りきらなかったので手に抱いて帰ることにした。24時30分に搭乗し、客室乗務員が親切に迎えてくれ私の席は最後尾の通路側の席であった。機内で流れているシンガポール航空のBGMは二月にオーストラリアに行くときはこれからの留学の不安を和らげる音楽だと感じたが、帰りに聞こえたときはオーストラリアでできた友人と別れる寂しさと、これで日本に帰れるという安心感を思わせた。25時にシンガポール空港行きの便は出発、機内食はポークとマッシュポテトのようなものであった。結構おいしかった。シンガポール空港に着き休む暇もなく羽田空港行きの便に乗り換え。今度は最後尾の窓側の席だった。しかも隣の席は空席で二つ隣に一般の乗客がおり、広々と使えた。日本行きの国際線なので日本人の客室乗務員がおり日本はもうすぐだとさらに安心感に包まれた。ここでの機内食はトマトパスタと蕎麦だった。久しぶりに食べた蕎麦はとても美味しかった。また、チョコレートアイスのサービスがあり驚いた。この日の前日、パッキングの途中に横浜キャンパスの人たちが乗っている便がどのような航路で羽田空港に着陸するかフライトレーダーで追跡していたので千葉県館山付近上空を通ることはわかっていた。我々の便が着陸態勢に入り、日本島が迫ってきた。窓側席なので富士山がかすかに見えつつ大島、千葉県館山、神奈川県久里浜も見えつつ千葉県木更津あたりの景色を楽しみながら15時15分、無事東京国際空港「羽田空港」に着陸した。久しぶりの日本に帰ってきて安心感が高かった。荷物を受け取り親と合流し電車で帰った。久しぶりの日本の電車でなるべく楽しく帰りたかったので横浜まで京急に乗った際、途中の京急蒲田であえて後続の快特に乗り換えて120km/h運転とラッシュ時間帯特有の信号変化を先頭車両の最前部で楽しんだ。パースの電車では乗務員室と客室の仕切りに窓ガラスが無く前面展望ができなかったので久しぶりにできて楽しかった。また、その後の東横線は渋谷からQシートサービスとなる急行渋谷行きのQシート車両はクロスシートで運転されるのでそれに乗りこみ帰宅した。この乗り継ぎは、帰国する二か月くらい前から羽田からどう楽しんで帰ろうかと考えた方法なのでちょっとのことだけど最後の留学の締めで実現できてよかった。


地元に着いたとき、最寄り駅や商店街は久しぶりという気分ではなかったが自宅に入ったときは久しぶりの気分になった。今まで当たり前のように帰っていた場所は寮の個室であるから、日本の自宅の部屋は特に久しぶりという気分だった。また、キッチン台が低いなと感じたうえ、日本はトイレや風呂の設備が充実しているなと感じた。近くにコンビニエンスストアはあり、自動販売機もいたるところにあり食料がいつでも手に入る有難さを実感したところである。3か月半ぶりの湯船はとてもあったかくて心地よかった。

3. 英語の上達だけではない留学プログラム

レポートの最後に伝えたいこととしては、留学期間中英語を話す機会が多いかどうかは人によるうえ英語以外においても成長できるということだ。当然ながら自分から外国人と交流せずに日本人ばかりと接している場合はただの長期海外住み込みになってしまう。120万円と生活費に何万もかけて行っているのだから、私はたまに外国人と気軽に交流できる環境を一秒あたりいくらかかっているのだと思いながら過ごしていた。外国人と遊ぶ機会を作る、コミュニティに入るなどすれば英語を使う機会を増やせる。正直言うと初対面の際、島国に住んでいる日本人よりも外国人のほうが外交的で話しやすかった。英語が話せるようになる以外のことでは、自立できるようになるということである。自炊、洗濯、掃除、買い物等生きるのに欠かせないことから学ぶことはたくさんあるし、いつでも仲の良い人が近くにいるわけでもない。三か月半も同じ施設に住んでいるわけなので生活習慣の違いによって発生するトラブルや人間関係のトラブルが全く起こらないはずがない。このようなときに解決策を考えて礼儀をもって生活することでその後の関係に影響すると思った。留学生活で得た経験は英語だけではなく生活そして人とどう付き合うか、不快な思いをしたときにどう対処するかも学ぶことができた。これらから留学前には無かった考え方も生まれ、自分自身が強くなった気がした。これからTAPに参加する人にはどうか参考になれば幸いである。