東京都市大学オーストラリア留学プログラム (TAP)

東京都市大学
オーストラリアプログラム


レポート

REPORTTAP 留学中の学生による
特派員レポート

REPORT
2025.12.02
Vol.689
英語だけじゃない!オーストラリアで学んだ人生のあれこれ
森坂 英太
理工学部 電気電子通信工学科, Murdoch University

皆さんこんにちは。更新が少し遅れたことお詫び申し上げます。現在、無事日本に帰国し、オーストラリアの余韻に浸っています。このレポートでは、10月の後半からラストスパートにかけて体験したこと、現地での生活のあれこれをまとめてみました。このレポートではこれから留学に行く方々にとって、少しでも役に立っていただけたら幸いです。

1章 夏休みのような後半授業

後半の授業は、週3日でその多くはウォーキングツアーである。月曜の「Australia and Asia」では、フリーマントルやパースの繁華街のノースブリッジを散策し、オーストラリアの歴史やアジアの交流地点を見つけた。火曜の「Using Web Data」では、市街にある会社でVR/AR体験をしたり、フリーマントルでクイズラリーをしたりした。水曜の「Sustainable Urban Design」では、マードックからさらにMandurah方面にあるWellardやNorth Fremantleを散策し、持続可能な都市のデザインとは何かについて考えた。私の場合、月水が午後からで火曜だけ午前なので、ウォーキングツアーはとても余裕をもって行くことができる。授業は2時間半くらいとなっていますが、ウォーキングツアーの日は1時間半くらいで終わることが多かった。こんなので単位をもらえるのが申し訳ないくらいである。単位にもなって、散歩をすることで運動にもなる、まさに一石二鳥である(笑)。だが、もちろん毎回の授業においてジャーナルの課題がある。すべてのジャーナルは250語程度で書く必要がある。内容はウォーキングツアーに参加しての新たな知見や気づいたことを絵や写真付きでまとめていく。ジャーナルはためないようにすることを推奨する。ためると大変なことになる。私は10個くらいたまってから手を付け始めたため、締め切り前日の深夜まで必死にやっていた。

そして、最終週には各々の授業のプレゼンテーションがあるが、時間は2分~3分程度でスクリプトを見てもOKなので、これは余裕である。前回でも書いたが、後半の授業は前半の授業と比べてかなり楽である。前半は月~金まで授業が3コマあり9時から3時過ぎまであったのに比べ、後半では午前か午後でかつ授業が1コマしかない。テストも前半では2度にわたり行われたが、後半ではテストどころか、小テストもない。プレゼンも前半はカンペなしで4分半話す必要があったが、後半はその半分以下。前半は平日毎朝午前からで少し辛いかもしれないが、前半さえ乗り越えれば、後半は夏休みの延長みたいなものである。また、フィールドトリップでは授業が終わった帰りにその場所を観光することもできる。フリーマントルは授業で何回も行ったので、フリーマントルのほぼ全部を知り尽くしていると言ってもいいだろう。

2章 パース観光・そして数々のイベント

10月後半になると、数々のイベントがあった。1つ目はジャパンフェスティバルである。ジャパンフェスティバルではTCUが総動員となって盛り上げる。マードック大学のDENという場所で行われる。外と中が会場になっているのだが、外のブースでは現地の学生にかき氷やみそ汁などの飲食のほか、射的やスーパーボールすくいなどのゲームも提供する。また、盆踊りも現地の人と一緒に踊る。今回は「恋するフォーチュンクッキー」の盆踊りを踊った。外のブースでは着付けや書道などがある。現地の人にとても楽しんでもらえて大成功だった。2つ目は3回目のExcursionである。1回目はキングスパークとスカボロー、2回目はMundaring Weir(ダム)に行ったが、3回目はCaversham Wildlife Parkへ行った。ここでは、オーストラリアの動物を近距離で見たり、触ったりすることができる。カンガルーに自分で餌をあげたり、蛇をもって一緒に写真を撮ることができた。ここで一番見どころだと思ったのはFarm Showである。羊の毛刈りやむち打ちは迫力があって面白かった。また、Showが終わった後には乳しぼり体験をすることもできた。今までの2回のExcursionはほぼ参加が義務となっていたが、今回の参加は任意であった。しかし、私は絶対に参加した方がいいと思う。なぜなら、ここでしかできないような体験も数多くあり、自分で行くのもちょっとアクセスが悪いからである。しかも参加費もない。動物園に行くことなんて日本では全くなかったので、小学生の遠足気分で、まるで子どもの頃に戻ったようなワクワクした気持ちになった。

10月・11月はランゲージパートナーとのイベントも盛りだくさんだった。10月の3週目にはAqwa(水族館)に行った。自分のランゲージパートナーと、同じグループの友達の3人で行った。本当は他のグループも何人か来ることになっていたが、予定が合わず、結局3人になった。ここでは珍しい魚もたくさん見ることができる。特に面白かったのが、円形の水槽が動く歩道になっていて、360度魚を見て楽しむことができたことである。その後、魚が食べたくなったので、昼食は水族館から歩いて数分くらいの店のFish&Chipsを食べた。4週目にはパース動物園に行った。この日は自分のランゲージパートナーと同じグループの友達2人、そして他大学の日本の留学生2人の計6人で行った。実はマードック大学には都市大のほか、日本の他大学の留学生が数名いる。パース動物園の観光は2度目であったが、時間の都合上、前回巡ることができなかった場所にも行くことができ、前回見れなかった動物も見ることができ十分満喫できた。


そして10月に一番楽しかったイベントがハロウィンである。10月31日の夜、市街にあるバーで集まり、仮装してボウリング・カラオケをした。ボウリングは1ゲームしかなく、少し物足りなさを感じていたが、そのあとのカラオケ2時間でお腹いっぱいになった。バディが何人か参加していたが、日本の曲を歌ってくれたバディもいてうれしかった。例えば松任谷由美の「ルージュの伝言」やVaundyの「踊り子」を歌ってくれた。歌詞が日本語で書いてあるのに、しっかり歌えている姿を見て感動した。その日は、カラオケの後、クラブに行く予定であったが、クラブがあまりに混んでいたため断念。結局、終電で帰ることにした。この時すでに日をまたいで1時半くらいであったが、終電が2時過ぎまであることには驚いた。あんなに利用者が多い東横線でも0時台が終電なので、めちゃくちゃ夜まで頑張ってるんだなと思った。


11月の1週目にはピナクルズに行った。ランゲージパートナーが車で連れて行ってくれた。片道2時間半くらいであり、走っていた道路は高速道路のようであったが、周りは殺風景でパーキングエリアもない。東北中央自動車道よりも何もなかった。ピナクルズはパースよりも暖かく、ハエが大量にいてすごいイライラしたが、砂漠に立ち並ぶ岩々は現実では見れないような光景でとてもとても神秘的で圧倒された。11月の2週目にはロットネスト島へ都市大の友達と行った。始発の船に乗るため、朝6時半くらいにヴィレッジを出発し、フリーマントル港に向かった。Uberでフリーマントルに向かったが、早朝からマラソン大会をやっていて、車が近くまで入れず。仕方なく、港まで走っていった。このとき、出発まで10分ちょっとしかなかったので猛ダッシュだった。船の座席は固い椅子だと思っていたが、モケットで思っていたよりも豪華だった。島についてから、自転車で島を一周し、途中のビーチで泳いだ。海があまりにもきれいで感動した。少し深いところまで行くと、魚が泳いでいた。この魚は小さい魚ではなく、水族館で見るような魚だった。自転車コースは22キロでちょっときつかったが、戻ってきたときすごい達成感があった。ロットネスト島で一番有名なのはクオッカである。クオッカは信じられないほどたくさんいて、こっちがわざわざ近寄らなくてもベンチに座っていると近寄ってきた。すごい誘惑してくるが、決して触ってはいけないし、餌も与えてはいけない。触った場合罰金が課せられる場合もあるらしい。そして帰りのフェリーはかなり高波で、上下の揺れがひどかった。寝てたから、大丈夫だったけど、起きてたら吐いてたかもってくらいのレベルだった。フリーマントルに到着後、2回目のレポートで紹介した店で、タコスを食べた。

そして11月14日はFarewell Ceremonyだった。このセレモニーでは修了証が1人1人に渡される。これを受け取ったとき、あっという間だった3か月半の留学生活が、本当に終わりに近づいているのだと思い寂しくなった。セレモニー終了後は友達とそのバディ複数人で一二三屋に行った。この店は丸亀製麺そっくりなうどん屋である。もう帰国間近なのになぜこの店になったのかは謎である。味は丸亀とよく似ていて安心感が得られた。そこではうどんよりも今まであまり話したことがなかったバディと話せたことの方がうれしかった。

3章 荷物も思い出もまとめて

最後の1週間は後悔のないように、今までよく行っていた場所に行った。パースシティやフリーマントルではお土産を買いに行った。そしてよく通っていたプールに帰国2日前に行った。最後は泳いでこの留学を締めくくりたかったのかもしれない。そして出発日には退居のインスペクション(検査)が行われた。とにかくごみを捨てるのが大変だった。これはまだ使えるから捨てるのもったいないとか言っている場合ではない。もうどんどん捨てていくことにした。インスペクションは13時頃にはやってくるのでそれまでには完璧に片付いていなければならない。帰るまでに掃除ができていないと罰金にもなるので、前々からコツコツと片付けておくとよい。そしてインスペクションが終わると鍵が回収されもう部屋には戻れない。ヴィレッジのCommonルームで何時間も過ごしていた。外は本当に暑かったが、ずっと同じ場所にいても退屈だったので最後に改めてキャンパス内を散歩した。散歩をしながらふと、「もう本当に帰るのか」と思わず自分に問いかけてしまった。荷物はすでにまとめ終わり、部屋の中には何も残っていない。普段は何気なく歩いていたキャンパスの小道も、今日はいつもと違って少し感傷的に感じられた。あの授業で立ち止まってメモを取った場所、友達とおしゃべりしたベンチ、ランゲージパートナーと笑い合ったカフェテリア……すべての風景が、まるで昨日のことのように鮮明に思い出される。「こんなに短い時間で、こんなにも濃い経験ができるなんて」と心の中で呟きながら、私はゆっくりとキャンパスを一周した。振り返るたびに、少しずつ胸が熱くなる。オーストラリアの青い空、心地よい風、そしてどこか自由な空気感、それらすべてが私の中で大切な思い出として刻まれていく瞬間だった。

このレポートを書いているのは11月20日であり、無事日本に帰国している。つい数日前までオーストラリアにいたのが不思議な感じである。逆にオーストラリアでは帰る1週間くらい前、「もう来週からは都市大で授業始まるのか」と思っていた。日本とオーストラリアは何千キロも離れているのに、自分の中ではどちらの生活も同じ時間軸に存在しているような、不思議な感覚がある。空港に着いた瞬間に日本の空気に戻ったはずなのに、目を閉じればすぐにオーストラリアの街並みやキャンパスの風景が思い出される。まるで2つの生活を行き来していた時間が、今になって一つにつながったような気がする。

4章 4か月間の経験と気づき

これまでを振り返り、たったの4か月間でも得られた経験値はたくさんあった。まず1つ目は国境を越えて新しい友達が増えたことである。この4か月間を通して、マレーシア、ニュージーランド、フィリピンなどオーストラリア以外でも様々な国の人々と交流することができた。キャンパスでいろんな国の言葉が飛び交うのを聞くたび、マードック大学って本当に「世界の交差点」みたいだなとしみじみ感じた。現地のバディと交流することでスピーキング力、リスニング力は向上したなと思います。現地の人と話すとき、全部翻訳機を使わなくともゆっくり話してもらうよう依頼したり、わからない単語があればその場で丁寧に説明してもらったりしながら、少しずつ会話に慣れていった。最初は聞き取れないことが多く不安もあったが、相手が熱心に付き合ってくれたおかげで自分から質問したり、簡単な意見を伝えたりできるようになった。こうした小さな積み重ねが、自分の英語への自信にもつながったと感じている。


2つ目は料理のバリエーションが増えたことである。パスタだとミートソース、ペペロンチーノ、カルボナーラなどで、和食だと肉じゃが、カレーうどん、親子丼などである。日本にいたころは、米は自分で炊いていたが、総菜系はコンビニやスーパーで済ませることが多かった。しかしオーストラリアでは簡単に食べられる総菜が日本のスーパーやコンビニほど種類豊富ではないし、値段も高い。しかもスーパーやコンビニは大学からまあまあ歩く。だから、自分で作るという方法しかなかった。しかしそのような環境のおかげで様々な料理を作ることができ、途中からは料理楽しいと思うようにもなった。カレーを作る時は量が多くなるのでルームメイトとよく一緒に作っていた。終盤にかけては米が余ると困るのでカレーで米を多く消費していた。やっぱカレーを食べるとき、日本を思い出し満足する。3つ目はメンタル面の成長である。私は日本にいたころから一人暮らしをしていたので、1人で生活していくことに対し慣れというものはあった。しかし異国の地で生活することはまあ多少は困難もあった。食材の名前がわからず買い物に時間がかかったり、公共交通の仕組みに慣れるまで戸惑ったりすることもあった。


他にも2か月に1回ほど寮のインスペクション(検査)がある。これは住人が部屋を掃除しているか確認するための検査であるが、初めての検査ときはどこをどの程度掃除するべきかよくわからなかった。それでも、周囲の人に助けてもらいながら少しずつ環境に順応していき、気づけば自分で生活ができるようになっていた。この経験を通して、知らないことでも必要な情報を自分で調べたり人に聞いたりして、状況に合わせて行動できる力が身についたと感じている。

5章 未来へ、そして読者へ

この4か月間の留学を通して、「今まで普通だと思っていたことは普通ではないんだな」ということに気づかされた。例えば日本では電車の中では静かにするのが常識であるが、オーストラリアでは必ずしもそうではなかった。車内で友達同士が普通の声で会話していた人、中にはスピーカーで音楽を流していた人もいた。初めは少し驚いたが、現地の人たちは特に気にしていなかった。オーストラリアでは日常茶飯事なのかもしれない。他にも、裸足で外を歩いている人を見かけることがあった。日本では裸足で外を歩くことはあまり考えられない。パースは年中通して比較的暖かいからそのような人がいたのかもしれない。他にも日本の常識が覆されるようなことはたくさんあった。文化が違うだけで、人々の過ごし方や心地よいと感じる距離感も大きく変わるのだと実感した。このような経験から日本に帰ってきても、誰かの行動が気になったり思っていた通りに物事が進まなかったりするようなことがあっても、「まあそういうこともあるか」と許せてしまうのではないかと思う。


また、1つアドバイスとして、現金は日本から多めに持って行くことを推奨する。なぜかというと私はオーストラリアのATMで現金を下ろせなかったからである。これは海外対応の設定がうまく機能していなかったからだと考えられる。私は日本から現金を多めに持ってきていたので換金所で換金できた。現金を使うことはなかなかないが、割り勘のときやカジノのときは現金が必要になる。カードを持っていく時は海外対応に設定されているかどうか確かめた方がいいと思う。私は先月頃から現金を必要とし始めたので、換金所に行ったが、そのころ円安が激しかったので損した気分になった。1万円を換金しようとすると、手取りは90ドルにも満たなかった。なので結局はATMで下ろせるのがベストなのかもしれない。あとJCBが使える店が少ないのであまり推奨しない。ほとんどはVISAあるいはMastercardであった。


最後になるが、留学は「行けば何とかなる」のではなく、「行くことで何とかできるようになる」経験だと思う。最初は不安や緊張があって当然だが、そこで出会う人や景色、価値観に触れることで、自分の中の「当たり前」が少しずつ置き換えられていく。そしてその変化こそが、留学で得られる一番の財産なのではないかと感じている。これから留学に行く人には、ぜひ怖がらずに一歩踏み出してほしい。わからないことがあっても、困ることがあっても、大抵のことはどうにかなる。そして振り返ったとき、そのすべてが自分を成長させる経験になるはずだ。


以上でこのTAP特派員のレポートは完結です。このレポートが、これから留学を考えている人にとって少しでも参考になれば幸いです。パースでの4か月間は、私にとって忘れられない時間となりました。今後もこの経験を胸に、より広い視野で物事を捉えられる自分でありたいと思います。